2005.02.27

白人(caucasian)・黒人(negro)・黄人(mongoloid)3色どもえのメンバーというのが、いかにもメトロポリタンでインターナショナルなニューミレニアム的雰囲気を煽動し、常に意識的にポリティカリー・コレクトであろうとする我々の努力と相まって、不必要に過大評価されてはいまいかbloc party?
先週のオーサカ出張の帰り道、急に帰路の新幹線で新しいモノを聴きたくなってMTVかなんかで”Helocopter”のビデオを見た記憶だけを頼りにTower Recordsで衝動買いして、ちょっとだけ後悔。

ところでニューウェイブ・ポストパンクなどの80’Sリバイバルが顕著な昨今にあって、それを捉えるオノレのスタンスを鑑みた時にあれ?と思うコトがある。

「昔を懐かしみつつもリアル体験をしたという自負でイッパイのオッサン・ババァ」vs「たまたまそれが80’sだってだけのハナシなんだけどね、とクールな現役若造」

という構図が、パワーポイントのプレゼン資料フォント48pt状態でどっかんと目に浮かぶのだ。でもこれって80年代の60’Sリバイバル・90年代の70’Sリイバルという「20周期説」に基づいた過去の前例に於いても、同じように「オトナvsコドモの構図」があったよね。

思い起こせば80年代初頭、幼いオジョーチャンだった私はネオアコ・ネオサイケに傾倒していたが、当時仲の良かったオンガク同志は30代が多かったため、「あーんエコバニ?単なるドアーズのパクリじゃん。ダメだよホンモノ聴かなきゃ」に代表される好意的なお説教おせっかいに辟易しながら、成長させていただいたものです。

回帰ムーブメントはいつでも巡ってくるけれど、それはそこからパラレルに進化をするためのツールであって、その機会を逸して懐古にとどまってちゃイカンのだよ、と冷淡な視線をオッサン&オバチャンへに投げかけていた当時の私はどこへやら。

だって最近の私ときたらキョービの若手バンドを聴いてはムカシのバンドを引き合いに出し、カテゴライズし、分類し、標本箱へ放り込んでいるだけなんだ。このbloc partyしかりKillersやDepartureやProsaicなんかも、ちょっとしたパーツは好きなんだけどトータルで捉えると「なんか若すぎ!」と辟易している自分がいるわけで。でもマイナス要因となっているその「若さイキオイ粗さ」が実はコアな部分であって、ちょとした80’Sテイストなんて枝葉部分なんだよね。ちょっとそこのところを最近ワタクシ履き違えているな、と反省している次第。

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